チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 / 塩野 七生

塩野さんを読むきっかけになった作品という意味で感慨深い。
しかも、そのときにうっかりボルジア家にもハマってしまって、さあ大変。
当時高校二年生だったが、「笑うミカエル」の川原泉さんが連載していた「バビロンまで何マイル?」(これはイギリスの詩の一節だそうですね。川原さんって博学だわ)にご登場されていたわけですよ、チェーザレさまが。そんでもって、「少女革命ウテナ」のさいとうちほさんも当時「花冠のマドンナ」を連載していたんですけど、そこにもチェーザレさまがご登場していたわけ。「悲しみよ、こんにちは」のフランソワーズ・サガンはTVドラマのために「ボルジア家の黄金の血」を書いてました。
まさに至福の時だった。右を向いても左を向いてもチェーザレさまにあたるような感じだったもんね。ボルジア関連本も山のようにあって、片端から読んだっけ。

チェーザレ・ボルジアとは、一体何者か?

ローマ法王アレッサンドロ八世の庶子であり、ニコロ・マキャベリが記した「君主論」における理想の君主として挙げられている人物。二男であったため、僧籍に身を置いていたが、兄と弟の死により還俗し、イタリア統一を目指して戦に身を投じる。妹のルクレツィアの結婚を政略に利用し、弟とは彼女を巡っての醜聞も流れるほどだった。

そのまま僧籍にあれば枢機卿の緋の衣を纏って高い地位にあれたのに、庶子――つまり正式な結婚以外の結びつきによって生まれたという、その事実だけで法王になることはできない。
ただ、そのために、彼は緋の衣を捨てるのだ。
頂上を目指す、その意気。
それが多くの人を惹きつけているのではないだろうか。
先にも挙げたとおり、さまざまな人たちがこの人を自分の作品に取り上げている。その中でも、この作品ほど彼の魅力を余すところなく伝える作品はないのではないだろうか。
綺麗ごとだけではない。彼は確かに非難されるべき点も持っている。
だが、すべてにおいて綺麗な点だけの人間など存在し得ない以上、彼が彼の目標とするところに近づこうとした、その努力を認めることも大切なのではないかと思う。

彼に従ったミケーレ・ダ・コレーリアがフィレンツェで傭兵を務めたあとの消息を知りたいと思う。敬愛したチェーザレのもとに戻れたのだろうか?

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コンスタンティノープルの陥落 コンスタンティノープルの陥落
塩野 七生 (1991/04)
新潮社


河惣益巳さんの『サラディナーサ』を読んだら、絶対王政末期のあのあたりのことをふと思い出してしまったわけなんですね。で、本当は『レパントの海戦』がよかったんですけど、随分以前に読むには読んだけど、名前ばかりよく知っていて、中身はあまりわかっていない状態なのでこちらの感想を書こうと思います。(『レパントの海戦』『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防戦』がキリスト教世界の滅びを描いた三部作になっているのです。)

「先生(ラーラ)、あの街をください」
この本の感想と言ったらこの一言に尽きる。その一言でコンスタンティノープルの陥落は決定し、キリスト教が絶対的な権威を持っていた中世世界は変化を迎えたのだ。この言葉を発したオスマン朝トルコのメフメト二世によって。
この、コンスタンティノープルの陥落はキリスト教世界の人々にとってはあり得べからざる衝撃だったようだ。それはそうだろう、その上、キリスト教世界の象徴でもあったこの都市は、イスタンブールと名前まで変えられてしまうのである。

塩野さんの筆致は簡素ながら微細、余計なことはないのに必要なことは落とさない、そこに好感が持てる。冗長なばかりで芯のない作品に飽きると読みたいと思わせる、そんな何かがあるように感じる。

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